たかが水漏れ、されど水漏れ。重大事故につながるおそれ
父方の大叔父夫婦には子供がいなかった。そのせいか、私のことを小さいときから孫の様に可愛がってくれていた。父方の祖父は父が赤ちゃんのときにすでに戦争で亡くなっていたし、母方の祖父には孫がたくさんいるのであまり甘えることができた記憶がない。そのため私も本当の祖父母のように二人を慕っていた。小さい頃はお酒を呑むたびにしつこいくらいにからかわれて嫌だったけれど、それでも人のいい大叔父のことは嫌いになれなかった。まるで子供のような大叔父と、そんな大叔父を叱って見守る大叔母は何だか親子のようで微笑ましく、いつまでも長生きしてくれたら…と願っていた。だけどそんな願いも虚しく、去年の始め頃、大叔父は心臓を悪くして亡くなってしまった。最後はお酒を禁止されていたから、棺桶にはたくさんお酒を入れてあげた。今まで我慢していた分、たくさん飲んでね…そんな願いを込めながら、みんなで見送ったのだった。
私は残された大叔母が心配だった。手のかかる大叔父だったけれど、そんな大叔父の心配し、時には愚痴をこぼしながら世話をするのが大叔母のライフワークのように見えたからだ。だからなるべく顔を出すようにしているのだけど、やはり大叔母も老齢なので、色々な面で心配が多い。この前も台所の水漏れに気づかず、延長コードの一歩手前まで浸水してしまっていたことがあった。大叔母は「大丈夫よ、水漏れくらい」と言っていたけれど、たかが水漏れ、されど水漏れ。重大事故につながるおそれがあるので侮れないのだ。
「早くおじさん(大叔父のこと)のところに行きたい」というのが最近の大叔母の口癖になってしまっている。大叔母に長生きしてもらうためにも、私や両親で大叔母の様子をちょくちょく見に行き、危険から遠ざけてあげられたらな、と思っている。